その日は日曜日だった。 父は徳島県外に商談に行くと言って出かける準備をしていた。
「僕も一緒に行きたい」と せがむ私を横目に、その日に限って「今日は家にいなさい」と言い残して、
ポルシェに乗って出かけていった。
それが父の最期の言葉となった。
帰りの高速道路で事故にあい、ある日突然父はこの世を去った。
小学校3年生の冬だった。
父は小さなガソリンスタンドを営んでいた。
40坪ほどのお店であったが、近所の方々が次々と給油に訪れ不思議なくらいに繁盛していた。
父はもともと車が好きで、独学で語学を学び、アメリカやヨーロッパに単身出かけては 車の買い付けを行っていた。
海外でのモータリゼーションに目の当たりにし、
日本でもそんな時代がやってくるという時代の潮流に乗って いち早くガソリンスタンド事業を始めた。
破天荒で荒くれものだった父の事業を支えたのは、祖父と祖母が積んだ「徳」であった。
貧しい暮らしをしていた祖父母は、苦しい生活をしながらも、いつも誰かの役に立つことを優先していた。
「誰かの役に立って、喜んでもらえることが嬉しい」
それが祖母の口癖であった。
祖父母にお世話になったという地域の人たちがこぞって父の経営するガソリンスタンドに列をなしたのだ。
実業家であった父は、外車の中古車販売にも事業を拡大し、出張先の海外から私宛に絵葉書をよく送ってくれた。
「今度日本に帰ったら一緒におでかけしよう」
孤独に耐えて異国を旅する父にとって、家族で過ごすことが何よりの幸せだったのだ。
32歳という若さでこの世を去った父の意思を継ぎ、地域に役立つ企業として、
どんな人でも自由におでかけを楽しめる場を創るために身を捧げる精神をもって創業の精神とする。