その日は日曜日だった。 父は徳島市内に商談に行くと言って出かける準備をしていた。
「僕も一緒に行きたい」と せがむ私を横目に、その日に限って「今日は家にいなさい」と言い残して、
出かけていった。
それが父の最期の言葉となった。
自宅に帰る途中で事故に遭い、ある日突然父はこの世を去った。
小学校3年生の冬だった。
1971年に父は小さなガソリンスタンドの事業をスタートさせる。
好奇心が旺盛だった父は独学で語学を学び、仕事の合間に度々アメリカやヨーロッパに単身で出かけるようになる。
そして海外のモータリゼーションに目の当たりにし、
日本でも外車が当たり前の時代がやってくるだろうと考え、 田舎で輸入車販売事業を始めた。それから頻繁に海外に出かけては車を買付け、出張先の海外から私宛に絵葉書をよく送ってくれた。
「今度日本に帰ったら一緒におでかけしよう」
孤独に耐えて異国を旅する父にとって、家族で過ごすことが何よりの幸せだったのだ。
32歳という若さでこの世を去った父の意思を継ぎ、地域に役立つ企業として、
どんな人でも自由におでかけを楽しめる場を創るために身を捧げる精神をもって創業の精神とする。